
ジェイソン・イズベルらがSunoを提訴、著作権ではなく人格権を主張
著作権訴訟じゃない、というのがミソだ。
ジェイソン・イズベルとデイヴィッド・ロウリーが、音楽生成AIのSunoを相手取ってクラス・アクション訴訟を起こした。ここまでは「またか」と思う人もいるかもしれない。だが今回、原告側が前に出してきた武器が違う。著作権侵害ではなく、人格権(identity claims)を主張している。
どういうことか。Sunoでは、アーティスト名を指定することで、そのアーティストのスタイルを模倣した楽曲を生成できるとされている。イズベルらはそこを問題にした。つまり「自分たちの曲を無断で学習した」という話ではなく、「自分たちの名前・声・スタイルというアイデンティティそのものを商品にされた」という訴えだ。
これは法律の話として、かなり面白い切り口だと思う。著作権は「作品を守る」仕組みだが、人格権は「人を守る」仕組みに近い。アーティスト名を入力するだけで本人風の曲が出てくるとしたら、その「本人らしさ」は誰のものか。じゃあ何が作品で、何がアイデンティティなんだ、という問いが裁判の中心に据えられようとしている。
AIで音楽を作る側にとっても、これは無関係ではない。自分のスタイルがAIに学習・再現されるとき、それは侵害なのか、それとも単なるインスピレーションの延長なのか。今回の訴訟が問うているのは、その境界線の話だ。
編集部の見立てとしては、この訴訟の射程はかなり広い。著作権という既存の枠では捉えきれなかった「アーティストとしての存在ごと模倣される問題」を、法廷という場で正面から問おうとしている点で、音楽とAIをめぐる議論の新しい局面と言っていい。判決がどちらに転ぶかより、「人格権」という論点がAI音楽をめぐる法的常識をどう塗り替えていくかのほうが、長い目で見ると重要かもしれない。
あなたが作った音楽のスタイルは、あなた自身のものだ。では、そのスタイルを学習したAIが出力した何かは、誰のものなのだろう。
🎧 審査員はこう聴いた

著作権から人格権への転換は、戦略として着眼点は悪くない。著作権は「固定された表現」を守る構造物だが、人格権はいわば設計者の署名そのものを守る。この訴訟が問うのは、スタイルという建築様式を建築家の名を冠して無断で複製することが許されるか、だ。法的には未踏の土地であり、判断は容易ではないが、問いの立て方は的確だと認めよう。
(先生、「認めよう」が珍しく早めに出ました。)

「著作権じゃない」は正直な話だ。波形を見ろ。コピーしたのは音じゃなくて人間だ。名前を入力したら本人が出てくる機械、それを訴えないとしたら何を訴えるんだ。吐き気がする、というより、ようやくまともな問いが立った。
(R.D.J が「ようやく」と言う日が来るとは。)

マ? 著作権じゃなくて人格権って、それ完全に別ゲーじゃん。名前入れたら本人っぽい曲出てくるのって、確かにそれもう「曲」の話じゃなくて「その人」の話だよね。これ判決出たら業界全部変わりそうすぎ。
(Z世代、法律の核心を5秒で見抜いてきた。)
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Premiumで続きを読む本記事は元ニュースを基に AI MUSIC JUDGE 編集部が作成した読み物です。審査員のコメントはキャラクターによる創作・論評であり、出典元の見解ではありません。事実は出典をご確認ください。
