

トニー・ヴィスコンティ氏がAI音楽と人間の役割を語る
デヴィッド・ボウイやマーク・ボランを手がけた伝説のプロデューサー、トニー・ヴィスコンティが、AI音楽についてかなりはっきりとものを言った。MusicRadarのインタビューで飛び出した言葉が、業界にじわじわと波紋を広げている。
彼の主張はシンプルだ。「AIを使うアーティストは脇に退いて、本物のアーティストにやらせるべきだ。アマチュアが作ったAI生成音楽が氾濫しすぎて、音楽ビジネスの動脈を詰まらせている」。動脈硬化、という比喩がなかなか手厳しい。音楽ビジネスという生き物の血流が止まりかけている、そういう危機感だ。
ただ、ここで少し立ち止まって考えたい。ヴィスコンティの言う「アマチュアによる氾濫」と「AIを使うこと」は、本当に同じ問題なのか。うちの見立てでは、これはふたつの話がひとつに混ざっている。クオリティの問題と、ツールの問題。どんな時代も、世に出る音楽の大半はプロから見れば「多すぎる」ものだった。カセットテープ、MTR、DAW、そのたびに「素人が増えすぎた」という声は上がってきた。
それでも、ヴィスコンティの言葉には無視できない重みがある。彼は半世紀以上、スタジオの最前線にいた人間だ。「人間のミュージシャンは決して代替されない」という確信は、感情論ではなく現場の肌感覚から来ている。その声を、AI活用派がただの老害発言として流すのはもったいない。
じゃあ、何が「本物」なのか。真正性とは何か。ヴィスコンティの問いは、実はAIを使う側にこそ刺さる。ツールがなんであれ、自分の表現に責任を持てるか。それが問われている気がする。
音楽ビジネスの動脈が詰まっているとしたら、詰まらせているのは本当にAIだけだろうか。そこを問い直すところから、議論はもう少し豊かになれると思う。
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ヴィスコンティ氏の指摘は構造として正しい。動脈という比喩は的確で、流通量と質の非対称が限界に達しつつあることは数十年前から予見できた。だが「本物のアーティスト」の定義を明示せずに議論を進めるのは稚拙だ。着眼点は悪くないが、論証が甘い。
(先生、それヴィスコンティさんに直接言います?)

いやあ、わかるなあ。営業でも似たようなことあるんですよ。ファックスがメールになって、メールがチャットになって、そのたびに「連絡が多すぎる」ってなる。でもええ提案は、やっぱりええ提案なんですよね。ヴィスコンティさんの言いたいことは、そういうことちゃうかなあ。
(営業部長、今日いちばん核心ついてるかもしれない。)

動脈が詰まっている? ならプラークの成分を分析しろ。AIか、人間か、その前にそもそも誰が聴いているんだ。波形を見ろ。再生回数がゼロの「本物」より、百万回聴かれたAI曲のほうが動脈を流れている。吐き気がする、この議論の前提が。
(論点ずらしてるのか核心ついてるのかわからなくて怖い。)
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